灰になるまで腐女子です?

二次元沼にハマった永遠の35歳主腐が同輩を求めて綴る戯言

本当にあった昔話4️⃣ 家庭科室がカオスだった件

 マブダチHから新たなネタが提供されました、って、高校時代の話ですから新しくも何ともないっつーか、XX年も昔の話なんですけどね。オラはすっかり失念していたのですが、Hとリモート飲みをしていたらば記憶力抜群の彼女から「そういや、こんなことあったの覚えている?」と訊かれて「どぇ~、マジで? それはネタにするしかない」とまとめた次第。Hプレゼンツ回、さっそく第二回目です。
 オラたちが高校一年の頃、当時の高校では男子が技術工作(体育だったかもしれない、記憶が曖昧)女子は家庭科を必須で学ぶという、ジェンダーレスを目指す現代からはかけ離れた授業を行なっていました。男女の役割分担を学校が推すって、やってることが昭和だよね~。男女比が三対一の、男子が多い学校だったので女子は二クラス合同で、家庭科専用の教室に集められ、教師も家庭科専任となるわけですが、この先生がまたキャラの尖った「クセ強さん」だったのです。
 いつも肩パットばりばりの、アメフトかよみたいなスーツを着た中年女性で、未婚か既婚か取り沙汰されたが卒業まで不明のまま。その細面の顔には毎度ばっちりの厚化粧が施され、後年になって登場した美白の女王・故鈴木その子氏にそっくり。鈴木氏が活躍したのは1990年代とあるので、我々の高校時代には知られた存在ではなかったのですが、もしも当時活躍されていたら、先生のあだ名は「その子」だったと断言できる。ということで、ここでは「その子先生」と呼ぶことにします。
 

故・鈴木その子氏

 先の第一回目の記事で、Hが女子卓球部の部長だったことを記しましたが☟

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 卓球部の同期で別クラスのRは髪形、丸顔、雰囲気等がHと似ていて、いろんな場面で双子扱い。H自身「おまえに似たヤツ(Rのこと)があっちのクラスにいるだろ?」と、他の先生にも言われることしばしば。で、とある家庭科の授業の日(合同授業はRのクラスとは別)Hがその子先生に「あなたはこの前もおしゃべりしていたでしょ!」といわれのない注意を受けたのです。それがRのことだと気づいたH(Rが以前、その子先生に叱られたことは承知していた)は即、弁明。

「先生、それは〇組のRさんです」

「ウソおっしゃい! 私の目は誤魔化されませんよ。そんなつまらないウソをつくなんて(ブツブツ)」

 ガンとして聞き入れないその子はさらにクドクドとお説教。とんだトバッチリだったと嘆くHですが、オラとしては無責任にバカ受け。

 さて、家庭科室は換気や採光を目的としてか、教室への前後の出入り口に挟まれた部分となる、廊下側の壁の上部と下部にそれぞれ引き戸が二つほどついていました。二つ、いや、三つだったかもしれない。引き戸一枚の高さは50cm、幅は70cmほどで、全開すれば女子高生ひとり余裕で通れる大きさ。

 家庭科の授業が終われば昼休みというある時、廊下側の後方の席に座っていたクラスメイトのYが黒板に向かうその子先生の目を盗んで、開いていた下部のミニ引き戸から脱走したのです。目的はすぐ傍の購買で販売されるパン。食べ盛りだったからね~、売り切れる前にフライングゲット。パンを購入したYが戻ってくるまで、その子先生が「生徒が一人いない」ことに気づかぬよう、みんなで素知らぬふりをしました。めっちゃスリルがあったよ。無事に戻ったYはしれっとした顔で席に着き、その子先生は彼女の動向にまったく気づきませんでした。Hのトバッチリの一件は忘れていたけど、Yの脱走の顛末はインパクト大な出来事として今でも記憶に残っています。

 あの頃の女子高生、というよりオラの周囲にたまたま強烈なキャラが揃っていたのかもしれませんが、それとも、今日日の女子高生もこれぐらいのことはやっているのかな。自分の子供が男二人なので、今時の女子高生の生態についてはよくわからないのですが、今日語られるJK像というかイメージと、あの頃のJKがいかにかけ離れているのかを思うと笑うしかないです。

 Hに関するネタはまだまだあると思いますが、次は大学時代を取り上げようかな。大御所(笑)ヘビードリンカーTの登場を待て!

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