久しぶりに、ヲタとも昔話とも関連のないネタをやりますが、何卒お付き合いください。
近年になって、実家の片付けを取り上げた雑誌の記事が目につくようになりました。亡き姑の部屋を片付ける嫁を題材にした小説も発表されるほどで、要は高齢者とその住まいに関する問題を抱える人々が増加しているという証拠でしょうね。高齢化↗なので増加は当然としても、そもそもどうして高齢者の住まいは厄介なのか。答えはシンプル、「モノが多いから」。
ウチに配布された住宅情報誌の特集記事では一畳ほどの大きさの戸棚?に、MAXに積まれたトイレットペーパーの写真が掲載されていました☟
これ見た時はビビッたよ。12ロール入りのやつが三十以上はあるよね。つまり、それだけトイペをストックしたがるというか、いくらあっても足りなくなるのではという強迫観念からくるのかと考えます。買ったのを忘れて次の買物でまた買う、その繰り返しの場合も。
我が家の年寄りも御多分に漏れず、新品を次々に買うはいいが古いモノ、不用品を処分しないのであらゆるモノが溜まる一方。先のGW中は物置(戸外)や納戸(建物内)の整理をやり、かなり強制的に処分しましたが(リサイクルショップに売る、資源ゴミに出す等々)氷山の一角というやつで、当人の部屋がラスボスとして残っています。処分できるのは死んでからだろうな。それやるのもオラかよ、GWまるまる潰されたのにと思うとムカつく。
このタイミングで片付けを強行したのは、この先オラ自身が齢を重ねたために作業が難しくなるのを懸念してのこと。今もかなりキツイけど(笑)頑張りがきく間に、処理できるものは進めてしまおうという決意です。不要なモノを処分するのは身体に例えるとデトックス、風水でもモノを溜めない方がいい、みたいなこと言われてるし、何より自分の両親が残した「負の遺産」を息子たちの代まで引きずりたくない、つーのもあります。現代は片付けを請け負う業者さんも多いのでお金さえ出せばどうにかなるけど、そこにかける費用を持ち合わせていないからね、貧乏暇なしだよ。ま、ゴミの集積所等にそれらをポイポイッと置いていく、スッキリ片付いた場所をしみじみと眺める、といった行為に、ある種のカタルシスを得ているというのもあるかな。
そもそも「強制的に処分=本人に見せないまま処理する」であり、ヘタに見せると「これはいつか使うからとっておく、あれは必要だから保管する」のオンパレードになる、絶対に片付かないループになるから。見なければ忘れたままなんですよ。そのモノに対する記憶やら思い入れなんて全くない。それなのに、捨てる(売る)と言うと惜しくなる「老人あるある」。面倒臭すぎる。世間でよく問題になるゴミ屋敷の住人にも高齢者が多いよね。片付けが苦手で無精な中年のパターンもありますが、モノに執着して処分しようとしない、モノに囲まれていると落ち着く、ってのは老人が大半じゃないかな。
戦中戦後の物資のない時代に生まれたから、モノに対する執着があとの世代よりも強い、っつーのはあるでしょうけど、戦後も70年以上経ったんだし、もういい加減にそういうのは卒業して欲しいんだが。かと言って古いモノをずっと大切に使うわけではない、次々に新しいモノに飛びつくあたりがまた腹立たしいんだわ。ウチの年寄り、スマホもタブレットも持っているからね、使いこなせていないけど(笑)。
そんなわけで、残りの不用品もとっとと片付けてハイパーデトックスしたいのですが長期戦覚悟だわ。あー、でも、自分も「推しのグッズは保管しておく」と言って譲らない老人になりそうでヤバいんだよ。先日出土した爆ベイやバトビの実機のパッケージを嬉々として保存するオラを見た長男が「それだって負の遺産だ」と言い放ちましたからね。アクキーやら缶バッジはまだしも、薄本なんてどーすんだよ。「負の遺産」いや、「【腐】の遺産」じゃん。息子たちどちらかの嫁に腐女子の方が、或いは孫が腐女子になってくれたらなどと考える、しょーがねーオバでした。