今日の記事はいつもと違うぞ、真面目だぞ! って、普段どれだけふざけているのでしょうか。
以前にこのブログでも触れましたが、今年の大河ドラマ『麒麟がくる』にハマっています。役者さんたちの演技は勿論素晴らしいのですが、とにかく脚本がスゴい! そこでそういう台詞を持ってくるかー、とか、そっちへ展開するんかーい、など、毎回感心しまくっています。こんなストーリーを構築できるなんて、ワシ、神〇〇という言葉は使いたくないので(ささやかなこだわり)リスペクトする、ぐらいしか表現できないのですが、脚本の池端俊策先生は本当に尊敬に値します。
翻って自分が創ったストーリーはどうなんだろう? 読者の予想を上手く裏切ったり、驚きつつも楽しめたりする内容になっているのだろうか。実際のところ、あまり自信ないっス。特に二次創作は既にキャラが確立していますから、そこらに則って構成すべきなわけで、元があるから楽かと思いきや、却って難しい部分も。オリジナルの方が自由にやれる分、やりやすいかもしれない。
マンガや映像といった、視覚に訴える表現方法は断然強いです。二次創作に於いてもマンガの方がわかりやすく、文章・文字という手段で張り合うのはかなり難しいと身に染みています。小説の同人誌も実績や評判を得た余程の大手でなければ、文章だけではなかなか売れない。故にヘタなイラストの表紙をつけるわけですが。ちなみにワシのpixiv投稿、小説のイラスト(ダイジェスト版と称している)は閲覧しても本文は読んでいないと思われる方がかなり多いです。あの三枚ほどのイラストで内容がわかるのだろうか? 中身はどうでもいいという扱いかな?
また、何らかの小ネタを思いついても「これ、マンガにするにはいいけど、文章で書くと面白くなくなっちゃうよな」と考えてボツにしたり、マンガとして描ける日まで熟成させておいたり(まず実現しない)。つまり、マンガで表現するネタに比べて、小説で表現するネタって面白さとか感動のハードルが高いんですよね。カイタカのキスシーンをマンガで見れば「きゃ~♥」だけど、「カイはタカオにキスをした」の一行じゃ「なんだ、そんだけかよ」になっちゃう。そういうこと。
ならば小説の強みって何だろう? 誰もが真っ先に思いつくのは「話のスケールを大きく、密度を濃くできること」。マンガでやったら何ページかかるかわからない内容を数十行ぐらいで表現できるのは小説ならでは。近頃はカイタカのSSを書くことが多いですけど、スケールや密度といった観点から考えると、この程度の内容はマンガなら通用しても、小説でやるとスカスカではないかと思えて、いささか自己嫌悪になります。小説という表現方法でやる値打ちがある話なのか、自問自答しつつ書く。値打ちがあろうがなかろうがUPしちゃってますけど。
あとは「想像を巡らすことのきっかけをどれだけ与えられるか」かな。小説で描かれた世界を読者が堪能し、次の展開へ思いをはせる。視覚に訴える場合でも、今そこに見えているものの裏側やさらに奥を想像することはありますが、文章は行間を読むというように、そこには書いていない物事や心理に対して発想を飛ばすといった味わい、面白さがある。というか、そうさせるように書かなきゃなんですが。
二次創作の小説を書いている人の中には、絵(マンガ)が描けないから文章で、という方も多いでしょうし、敢えて文章という形で表現したい人もあって当然なわけで、それがいいとか悪いとかではなく、自己満足だろうが何だろうが、自分の思いのたけを文字でぶつけるのはまったく構わない。ただ、「こんなの書いたけど、読みたくなければ読まなくていい。あくまでも自分のための文だから、読んだとしてもケチはつけないでもらいたいし、文句も言わせない」ならばともかく「是非読んでみてください、感想聞かせて」とアピールする以上は、読むに値する文章を書く義務が発生すると思うのですが、どうでしょう?
そんな義務(という表現が正しいかは別として)を意識すると、スカスカのSSでは申し訳が立たない、小説ならではの醍醐味がある作品にしなくてはと思い、意気込んで書いたはいいが、どう書いてもイマイチな出来に、自分にやり直しを命じる毎日です。
ま、要は「SSやるぜー!」と言いながら進まない言い訳なんですが。ハイ。
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